今年の梅雨は例年に比べて明らかに雨がすくなかった。
だから、今更梅雨明けだ夏だと言われても大して状況は変わらないわけでいまいち一夏の始まりに胸を膨らませるとかそんなことができないでいる。
窓をあけきって扇風機が微かに唸っている自室、ノートと向き合ってかれこれ1時間経とうとしていた。
「………」
音楽プレイヤーから伸びているイヤホンは左側だけ膝下で左手に弄ばれている。集中するためにと好きな曲を集めたプレイリストももうすでに一周してしまった。
ちら、と机の上の時計に目を向ける。
そろそろだ。そう思うとソワソワとして落ち着かない。
あと少ししたらまたいつものごとくアイツがやってくるのだ。自分と同じタイミングで始まった夏休みを彼は今日も堪能して、そして太陽が一番昇りつめた頃騒がしくやってくる。
一階でチャイムが鳴るのが聞こえる。それを兄が開けて挨拶もろくにせずにばたばたと階段をかけ上がって廊下の突き当たりの扉を勢いよく開けた。
「シーザーッ!!遊ぼうぜ!!」
ジョセフ・ジョースター、二つ年下の幼馴染みだ。今年で自分と同じ高校の一年生になった
「お前……夏休みになってから毎日遊び歩いてるんじゃあないか?」
「うん!今日はプール行ってきたんだ!!」
そういうことを聞いてるんじゃないと否定しようとしたが爛々と目を輝かせて笑っているジョセフをみるとそれもどうでもよくなって溜息をつく。
「俺とー仗助とー、ジョルノとー承太郎とー、徐倫で!」
「いつものメンバーだなぁ。というか承太郎とジョルノは受験生じゃあないのか?」
「二人は俺なんかよりぜーんぜん勉強できるもんねぇン。」
そんなことで胸を張るなよ。
「ジョナ兄とジョニィがいれば兄妹勢揃いなんだけどジョナ兄はディオとどっか行くし、ジョニィはこっち来てるし。」
「あージョニィ来てたな。何やってんだあの二人は」
「自由研究。何やってるか教えてくんねーの」
ケチな弟だよなぁと不貞腐れるジョセフは高校生になったところでまだ根はそこらへんの子供と何ら変わらない。
現実から目をそらすように手早くノートの問題集を閉じて片してしまう。
「ん?シーザー、もう課題いいの?」
「少しくらいいいだろ。俺だって夏休みなんだぜ」
「ふぅん。」
ベッドに凭れながら本棚から漫画を取り出しては開く。おそらく昨日読んだ続きの巻からだろう。
ジョセフの横を通るようにしてベッドに飛び込むように倒れるとスプリングが悲鳴を上げる。休憩を取れたことに溜息を吐いてから目の前にあるジョセフの後頭部を見つめる。プールどくとくの消毒液の匂いがする髪にふと触ると普段とは違って少しばかり指に引っかかる。
「乾かしてきたのか」
「外どんだけ暑いと思ってるわけ?そりゃ嫌でも乾くって」
「洗ってくか?髪軋むぞ」
「いーよいーよ。どうせ家帰るまでに汗かくしな」
会話をしながらもジョセフはこちらに振り向くことなくペラペラとページをめくる。
それを黙ってみていると急に睡魔に襲われる。寝たら課題を再開するタイミングをのがす。それでも少し寝てしまいたい。
「ジョジョ、一時間したら起こせ」
「んー」
こいつ聞いているのか。そう思いつつももう一度声をかける気力はない
返事も来たし伝わっただろうということにしてシーザーは即座に眠りに落ちた。
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「シーザー、起きてー」
「ん…」
体が揺さぶられる衝撃で目が覚める。目の前には座ったままだが今度はこっちを向いているジョセフだった。
「よく寝てたね。」
「んー…」
ぼやける視界をクリアにするために、と目をこすってもういちど前を見る。
ニコニコとしてこちらを見るジョセフの顔は窓から差し込む夕日で赤く照らされている
………夕日?
違和感に気づいたシーザーは携帯のディスプレイを見る。そこには確かに17:57と無機質な字で表示されている。
眠りについたのが確か14時過ぎだったから、それから約三時間寝たことになる。
あまりの事態に止まった思考が追いついて怒りが向いたのはジョセフだった。
「お前っ!!一時間で起こせって言ったじゃあないか!!!」
怒鳴るようにいうとジョセフは慌てて取り繕うように手でジェスチャーを加えながら抗議を始めた
「そっそりゃあちょっと15分くらいオーバーしたけど俺はちゃんと起こしたぜ!?」
「起きてないじゃあないか!!」
「俺はしっかり起こしたし、それにもう少しもう少しって先伸ばしにしたのはシーザーだぜ!?」
それを聞いてとたんに何も言えなくなる。確かに考えるとそんなことを言ったような気がする。
もう少し、最近寝れてないんだ。だから、今くらい
「言ったのか……?」
「最近寝れてないんだって言ってたぜ。それで俺に起こさないのが行けないとかチョーっと違うんでないのォ?」
語尾を伸ばしてそういうジョセフに対してやはり何も言葉が出ない。
眠れないのは俺のせいだし起きれなかったのも自分のせいだ。コイツはなにも、悪くない。
「わるい…」
「シーザー?」
力無くつぶやいたまま俯いたシーザーをジョセフが覗き込むと手で押し返された
「何だよもう」
「見たらもう遊ばない」
「…殺すとか言わないところに愛を感じるねェ痛い!」
ジョセフの頭を全力で叩く。それでもシーザーはうつむいたままだ。
「…眠れないんだ」
「うん?」
恐る恐る覗き込むと今度は押し返されなかった。
「夏休みがあけたら、もっと受験で忙しくなる。塾に行くほど金もないから家でできることはやらなきゃいけないし。そう思ってやってはいるんだが、そうするうちにやっぱり周りと差が開くんじゃとか思って眠れなくなって。次の日にやっても結局頭に入らないし」
語るうちにぽろぽろと涙が零れては膝下に落ちる。手で拭うようにしても結局は伝って落ちてゆく。
「…疲れたね」
「まだ、そんなこと言ってる場合じゃないんだ…あと半年」
「でも、半年あっても疲れたら疲れたっていってもいいも思うぜ。」
「………」
思うような反応がシーザーから返ってこないからどうしようというようにうんうんと考える。そして笑顔を上げる。
「そうだ!疲れたときは疲れたって言っちゃいけないってばあちゃんが言ってたぜ!疲れたっていうともうやらないって聞こえるから、少し休ませてっていえばいいって!そうしたら、少し休んだらまたやるからねって聞こえるって!だから……えっと」
思いついたことを言い切ったあとにやはり何をいえばいいか考えていなかったんだろう。また考え始めてしまう。
そんなジョセフを見ていたらふつふつと笑いがこみ上げる
「ふ、っははは」
「あれ……笑ってる…?」
「ははっ……ごめんごめん。」
グリグリとジョセフの頭を撫で回す。
2つも歳の少ない幼なじみにこんなに頑張られてへこんでるなんてどうかしてるな、と内心で笑う。
「言えって言ったり言うなって言ったり……ぐちゃぐちゃだなお前」
「…すんません。」
「ジョジョ」
短い名前をよんでから、前方に倒れ込む。
「シーザッ…!!」
それを受け止めるように手を伸ばされる
「疲れたから、また頑張るから少し休ませてくれよ。」
「……おう。」
そのまま肩に頭を擦りつけるように倒れたままで目を閉じる。
すん、と鼻から吸い込んだ消毒液の香りが昔から好きだった。
どこかに出かけて日焼けをして帰ってきては笑う顔が好きだった。
そんな事を夢に見て、そんなふうにできない自分と、楽しそうに夏を満喫するジョセフをどこかで妬んでいたかもしれない。
でも結局はこうやって自分のところに来ては楽しかったことを、夏の香りをおいていくのだ。
「……シーザー、外行こうぜ」
「は?」
急に言われた提案に顔を上げる。見上げた顔がなんとなく赤いのは暑いのに密着したせいだと理解する。
「見せたいものがあるんだ、早く!」
「えっ、お前っおい!!」
慌ただしく立ち上がったジョセフはシーザーの手を掴んで半分引きずるように部屋を出る。
階段をかけ降りて玄関を出て、庭の隅に停めてあった自転車に手をかける。
「なんだよジョジョ急に」
「すぐわかるから!ほら、乗れよ!」
瞬時に鍵を外してペダルを跨いだジョセフは後ろの荷台に乗るように促す。
「いや、お前の運転死にそうだし……」
「あー!?いいから!シーザー!」
焦りのある真っ直ぐな深緑の瞳で見つめられると好奇心が湧き上がってくる。
そして、体は勝手に動き出すのだ
「っし!捕まっとけよ!!」
「おい安全運転でうおぅ!?」
乗ってジョセフのTシャツを掴むようにしたところで急に走り出す。
「お前っちょっとは人の話を聞けよ!?」
「怖かったら腰に手回しとけよ転ばない自信ないしねーッ!!」
「このバカッ……」
明らかに上がるスピードに若干怯えながら腰に手を回して下を向く
「シーザー!前見ろ前っ!」
「は!?」
「いいから前見て!」
何が起こっているのかわからないまま顔をあげてジョセフの横から覗くようにする。
「何が………」
いい終わらないうちに目を見張った。
坂の上からみえる町並みはさらに遠くの海に沈む夕日に照らされて滲むような赤色で真っ赤に染まっている。
切るように吹き抜ける風と風の音が気持ち良い。
ペダルをこぐ音が聞こえないのはジョセフがブレーキをかけているからだろう。
「シーザーんち坂の上だろ!?いつも帰る時間は違うけどこの時間だとスゲエ綺麗なんだッ!!お前家でないからどーせ見てないと思ってよおっ!!」
「確かにすげぇ……」
いつもは無機質なビルは赤く染まり海も赤く揺れるようにキラキラと光を放ちながら眩しいほどに輝いている。
「シーザー!」
急に名前を呼ばれてはっと意識が戻る。ジョセフはそのままひと呼吸おく。
「ッ頑張れ!」
「……ハハッ」
きっと自分を励ますための精一杯の言葉だったんだろう。
この景色を見せるために汗だくで自転車をこいで、ほんとうにこの手のかかる幼馴染みはいつのまに大人になったのだろう
「うるせーーっ!!!テメエも遊んでばっかいるなよ!」
「ああっひどい!!!」
人目につくのも気にせずに大声で叫びながら坂をかけ降りて、降りきっても夕日は沈まないままだった。
夏色-Fin-
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