カチャン、と音を立てて目覚まし時計が鳴り止む。携帯にいろんな機能がついた現代に目覚まし時計?なんて同居人には笑われたがそれでもシーザーはその時計が気に入っていた。
起きてカーテンをあける。まだビルが敷き詰められたような街を明るくなり始めた空が照らす。
少しだけ窓を開けると冷たい風が滑り込んできて鼻にツンとした刺激を生む。
もう一度しっかりと締めてシーザーは障子を開ける。畳張りの自室とは逆にフローリングになっているリビングには当たり前に誰もおらず向かいの部屋の障子もぴったりと締められている。
「……さて」
フローリングの冷たさに内心悲鳴を上げながらテーブルの上に置かれたリモコンを手に取る。
テレビに電源が入ってから少し間があって画面にニュース番組が出る。昨日遅くまで起きていた同居人は音量を下げていなかったらしく急いで下げた。
「あのやろう…またやりやがったな。」
深夜に大音量で見るのはお隣にも迷惑になるかといつも言い聞かせるのに本人に治す傾向は全くない。
それでも起きないように音量を調節する自分に溜息が出る。
部屋の隅にあるヒーターに電源を入れてキッチンに向かう。
冷蔵庫を開けて何から使ってしまおうかと考えてから使い掛けのベーコンと卵を出した。
フライパンを火にかけて温まるのを待つ間にパンをトースターに入れた。
そろそろいいかと油を引くと油が跳ねる音が一気に鳴る。
タイミングは完璧だ。シーザーの気分はそれだけで少し上がる。
卵を二つ割ってまだスペースがあるなと思いベーコンも一緒に焼いてしまう。
視界の端で何かが動く気配がした。
「おはよ…」
「おはよう、ジョジョ」
寒いのか指の先までスウェットの袖を伸ばしたジョセフはまだ眠たそうに自分の部屋から出てきた。
「支度してこいよ。」
「んー……」
「こら、部屋が温まらないからヒーターの前に座るんじゃあねえよ。」
極めて優しくそういうとジョセフは素直に立ち上がって洗面所に向かった。
卵とベーコンの具合を見て食器棚から皿、冷蔵庫から昨晩の使い掛けの野菜の千切りを出した。
それを素早く皿に盛り付けてから卵とベーコンを乗せる。皿を二人分使っていたら洗い物が増えて仕方が無い、というシーザーは大皿一枚に乗せる。
焼けたパンをいったん皿に出してまた新しいパンをトースターに入れる。
「今日はシーザー何時まで?」
洗面所から戻ってきたジョセフにもう眠気はないらしい。寝癖も直されている。
「17時。それからバイトがあるから家に着くのは10時近くだな」
「そう。どうする?迎え行く?俺8時上がりなんだけど。」
「早いな」
「昨日納期で殆どデカイ仕事ないからね〜」
「じゃあ少しどこかで待っててくれよ。飯食ってこようぜ」
「了解。これ持ってってイイ?」
「あぁ」
カウンターからキッチンを覗いていたジョセフは卵とベーコンの乗せられた皿を片手にシンクの横に立てられていた箸を2膳抜き取った。
それから戻ってくると電気ケトルに水を入れてスイッチを入れた。
「何飲む?」
「紅茶。淹れてくれるのか」
「朝からそんなメンドクセーこと俺がすると思うわけ?」
「いいや。」
だろ?と笑いながらジョセフはティーパックの袋をひとつ破ってガラス製の急須に入れた。
それとマグカップを二つ手にしてテーブルに持っていきそのままソファに座った
パンの乗せられた皿とマーガリンを持ってシーザーも向かいに座る。
「ほら、テレビ見てんな」
「へい」
互いに相手がテレビを見ながら食べようが話しながら食べようが気にはしないがこれだけは二人揃わないと気がすまない。
合掌の形をしてどちらからともなく口を開いた。
「「いただきます。」」
super scooter!
二人は元々同じ高校の生徒だった。シーザーが三年生の時に新入生として入ってきたのがジョセフだ。
最初こそ仲が悪かったものの音楽の趣味だとか好きな映画だとかが合うということがわかるとあっさり仲良くなった。
シーザーが進学が決まったとき一番に喜んでくれたのはジョセフだった。第一志望に受かったことを伝えると休日だったにも関わらずシーザーの家にやって来て玄関で飛びついた。
今の家から電車で一時間ほどの所に部屋を借りた。理由は単に安いことと学校に近いことだ。
ジョセフとは学校に行ってからも変わらず連絡を取り合い休みの度に会ったりしていた。
それから2年後ジョセフの進路が決まった。小さなデザイン会社で、高校時代から美術部にいたジョセフは担任の伝でそこに就職が決まった。
そのことを聞いた時、シーザーの学校とそれなりに近いことを知った二人は若くて生活資金に余裕がなかなかない事、ジョセフも一人暮らしは何かと不安だろうという点で一つの案を出した。
少し大きめの部屋を借りて、同居しよう
先に話を持ち出したのはジョセフだった。最初は渋っていたシーザーにダメ押しで一つ条件を出す。
「俺、実は去年バイクの免許を取ったんだよねぇ。だから朝、シーザーちゃんを大学に送ってあげる。時間があるなら帰りも迎えに行く」
どう?と言いながら楽しそうに首を傾げるジョセフにシーザーは心が揺らいだ。
学校と家が近いといえども歩くには少しばかり距離があるしバイト先は更に先まで歩かなくてはいけない。自転車を買うタイミングを見失ったシーザーは健気に2年間も歩いて通ったのだ。
結局承諾してしまった。その後直ぐにジョセフの母親に連絡を取ったらこちらも不安だからぜひ頼みたいと逆に頼まれてしまった。
それから二人で部屋を借りた。
大きめのキッチン、洗面所と風呂場 ユニットバスではなくトイレは別につけられている。フローリングのリビングを間に挟むように設置された和室が2部屋。
若い二人には少し贅沢だと思ったが男二人で暑苦しく狭い部屋にいるのも嫌だからという理由とジョセフの母親が最初の間は少し負担する理由でそこに決めた。
それまで小さな部屋でひとり寂しく暮らしていたシーザーは少しばかり嬉しかった。
朝出る時間にそれほど差のない二人はジョセフのバイクで家を出る。ジョセフの会社までの道途中にある学校でシーザーを下ろす……さすがに校門前は恥ずかしいとシーザーが言うので100m程前で下ろすのがもう定番だ。
時間が合うなら帰りも迎に来てもらい買い物をしたりして二人で帰る。入社してすぐの頃は早く帰ることはできなく、いつもシーザーが夕飯を用意していた。
そんな生活ももう二年になる。シーザーは4回生になったし、人懐っこいジョセフはもう既に会社に溶け込んでいた。
二人でバイクにのってヘルメットを被るシーザーがジョセフの腰に手を回すのを確認するとバイクは走り出す。
まだ静かな街。すっかり晴れてしまった空は青く澄み渡っている。
走っている時のジョセフは基本的に何も喋らない。もちろんシーザーも、ジョセフがなにか言えばそれに返すくらいだ。
腰に回した手から伝わる体温が少しだけ寒さを紛らわす。
シーザーはそんな朝が好きだった。
- - - - - - - - - -
生徒がちらほらと増え始めるとシーザーは落ち着かないようにそわそわする。
いつもと同じぐらいの地点でブレーキをかけた。
「はい、いってらっしゃい。」
「悪いな。じゃあバイト終わったら電話するから。」
「うん。多分駅前のでかい本屋にいるから。いつものとこ」
「あぁ」
短くやり取りをしてジョセフにヘルメットを渡して歩き出す。
「シーザー」
呼ばれて振り返るとジョセフはまだそこにいた。
「…いってらっしゃい」
「ん?あぁ。お前も頑張れよ」
そう言ってやるとジョセフが嬉しそうにはにかんでから走り出す。あっという間に追い抜かれてみるみる背中が小さくなる。
始業まではまだ時間は十分にある。シーザーはゆっくりと歩き出した。
- - - - - - - - - -
昼の時間。有り合わせを詰めただけの弁当とカバンをもって席を立つ。向かう先は中庭だ。人の混み合う食堂よりも少しばかり寒くても落ち着いて食べれる場所が好きだ。
「あの、シーザーさん」
廊下に出たところで後ろから呼ばれて振り返る。同じ講義をよく取るが話はしたことのない女生徒だ。
「どうしたの?」
「あっ、えっと突然ごめんなさい…あの、シーザーさん毎朝男の人に送ってきてもらってますよね?」
「…見られてたんだね」
だから何だというのだろう。わざわざ追いかけて来て二人乗りは違反だなんて言い出すのだろうか。そんなのは分かっているつもりだ。
もしかして…デキているのかなんて聞かないだろうな。
慌てたように女生徒は頭を下げた。
「ごっ!ごめんなさい、あの気分を悪くしたなら謝ります。聞きたいことがあって……」
「謝らぬくてもいいんだよ。何だい?」
「あの、あの人とシーザーさんはどういう…」
「ただの高校時代からの友達だよ。」
それを聞いて安心したのか女生徒の大きな目が見開かれた
「あのっ…じゃああの人付き合ってる方とか…いるんですか?」
「……いないんじゃあないかな。どうしてだい?」
笑いながら胸がざわざわとして落ち着かない。なんとなく、この先の言葉を聞くことを拒否している自分がいた。
「あの、もし迷惑じゃなければ紹介してほしいんです…」
「…」
つまりこの子はジョセフに恋をしているのだとその表情を見てシーザーは納得が言った。
小さくて可愛らしい、足が長くてふんわりとしたまさに『女の子』という言葉が合うような子だ。
そういえばアイツ高校の時に胸の大きな子が好きだとかいっていたなぁ。
いいじゃないか。アイツの浮かれた話なんて聞いたことがないし、アイツが嬉しいなら俺だって諸手を挙げて喜ぶだろう。
あぁ、そうなったらアイツはあの部屋を出ていくのだろうか。いや、もしかしたら俺が出ていくべきなのか?
ジョセフは自分が一緒なら楽しくなりそうだな、と借りる時に嬉しそうに笑っていた。
その部屋に、俺はいられなくなるのか。 朝の送り迎えもなくなってしまうのか
そんなの
「……駄目だ」
「えっ?」
女生徒からの聞き返して自分が言ってしまったことに気が付く。
「えっと、ダメって…」
「いや、その……ほら!アイツはがさつだし、家事も何もできないし、そもそも年下だし」
自分は何を言い訳しているのだろう。まるで彼女が聞いたら、ジョセフに落胆するような言葉を並べて
「きっと、君のような素敵な女性はアイツに勿体ないよ。」
「……そう、ですか?」
自分はどんな顔をして今頷いているのだろう。きっと引き攣ったような笑い方をしている。
女生徒は少し俯いてから小さな声でわかりましたと呟いた。
「ごめんなさい。引き止めてしまって」
「いや、いいんだよ。こちらこそすまないね」
「じゃあ、私はもうこの後授業ないので、シーザーさん頑張ってください」
「ありがとう」
お辞儀をして小走りに去っていく女生徒の背中を眺める。
「何を、言ってるんだ俺は」
彼女とジョセフが二人でいるのを想像して腹が煮えくり返るような感覚を抱き、消してプラスにはならない情報を並べて。
まるで
嫉妬しているみたいじゃあないか。
- - - - - - - - - -
バイトを終えて店を出ると見慣れたバイクが目に留まる。ジョセフだ
「おかーえり」
「…ただいま」
いつから待っていたのか、笑う顔は真っ赤になっている。
「どうする?」
「何でもいい。何が食いたい?」
「何でもいいが一番困るって、いつもいうのはシーザーだぜ?」
「…そうかな」
昼間のことを思い出して少しざわざわとする。疲れた時と機嫌が悪い時に投げやりにやるのはシーザーの悪いくせだった。
どうやらそれを疲れているととったらしいジョセフはシーザーのマフラーを奪い取る
「じゃあ、久しぶりに肉食べに行こう。ハンバーグ?焼肉?」
乱雑に巻いてあったのが気になったのか丁寧に、首が締まらないように巻かれていく。
こんなに優しいのに何を嫉妬しているのか、とシーザーは自分に嫌気がさした。
「ハンバーグ…」
「ん。」
じゃあ乗って、とジョセフはヘルメットを手渡した。
手にヘルメットを持ったまま立ち尽くすシーザーはバイクに跨るジョセフをぼんやりと見下ろす。
「……ジョジョ」
「ん?」
呼ぶとジョセフは見上げてくる。
「……なんでもない。」
「そう?」
シーザーもヘルメットを被って後ろに跨る。腰に手を回すと手袋をはめた手が上から重なる
「なんだ」
「なんでも。ほら、行くぞー」
本当に何もなかったようにジョセフは手を離して走り出した。
冬の夜は寒くて嫌いだとシーザーは目を閉じた。
- - - - - - - - - -
それから数日は何もなかった。
あの日のことは気にならない程度には忘れてしまっていたし、女生徒の方からも何も言ってくることはなかった。
大学の廊下を息をあげて走る。今日はジョセフが迎えに来てくれたのだ。今から出るとメールしたあと教授に呼び止められて思いのほか時間がかかってしまった。
玄関を出て人の少ない校門へ向かう。邪魔にならないように端に止まっているジョセフが目に入る。
「っ!ジョ……」
声が自然に途切れる。最悪だ、という言葉が無意識のうちに浮かんだ。
そこにいたのはジョセフと嬉しそうに笑って話しをする先日の女生徒だ。
向こうが気づく前に一度引き返してしまおうと思ったらそうはうまくいかないらしく一歩後ずさりしたのと同時にジョセフと目が合ってしまった。
「シーザー!」
人の名前を呼びながら手を振るんじゃあないと普段なら起こるところだがそんな言葉は出ない。こちらをむいた女生徒も少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「何してんだよこっち来いよぉ〜」
「……」
「あっ、というかさぁ!お前なんでこの人のこと黙ってんだよぉ〜!」
この人、というのは女生徒の事だろう。
「いいんだよ、私も大丈夫って言ったから」
どれほど前から話をしていたのかしらないがすでに慣れ親しんだような話し方をしている。
こちらに駆け寄ってきた女生徒は笑いながら唇の前で手を合わせる。
「ごめんなさい、変える時にちょうど彼がいて、声かけちゃったのは私なんです。」
「そうそう、シーザーが来ねえから待ってたら話しかけてくれたワケ」
バイクを押しながらジョセフもこちらに近づいてきた。
何も言えずにいると女生徒がのぞき込んでくる
「あの、具合でも悪いんですか…?」
普段なら笑って返事をするだろうが今はその心遣いが鬱陶しい。
ジョセフが明るい声を出す
「あー、ソイツ機嫌悪くなると黙っちゃうから、気にしなくていいよ〜。」
「そんな言い方したら駄目だよ」
気持ち悪い、と口に出さないのが不思議なほど腹が立つ。
そんな風に見上げるな、作ったような声で話しかけるな。ジョジョもデレデレとしてるんじゃあない。
形にならない苛立ちがさらに大きくなっていた。
「帰る」
「はぁ?」
「え?大丈夫ですか?」
「気にしないでくれていいから。」
じゃあな、と手を振って歩き出す。ジョセフが呼ぶ声が聞こえるがそんなの知ったこっちゃない。
今は、早くこの場から去りたかった。
「シーザー!」
校門を出た時聞こえた声に何も考えたくなかった。
- - - - - - - - - -
「…シーザー!」
追いかけてくるだろうなとは思っていたがいざその通りになるとうんざりとする。
バイクを押しながらジョセフは横に並んだ
「どうしたんだよシーザー、何かあったのかよ?」
「何もない。それより彼女置いてきたのか」
「しょうがねぇだろ?折角迎えに来てやったらさっさと歩いてくんだから」
お前が心配で追いかけてきましたとは思っていないのかと考えたらシーザーの気分はさらに沈んだ。
「ほっとけよ、早く戻ってやれあんなにいい子滅多にいないだろ」
「それホントに思ってんの?そうとは思えねえけど」
「……」
「お前珍しくすげぇ態度だったぜ。普段のスケコマシはどうしたよ。」
「……」
何も言えずにいるとジョセフはさらに追い討ちをかける。
「あの子言ってたぜ、きっと自分がいけないからシーザーは悪くないって」
そんなこと、本心で言ってると思ってるのかこのバカは。
お前に少しでもよく思われたくて言ってるとしか思えない。だって彼女は自分の本能のままにお前に声をかけたのだから。
「いい子だよなぁ、気がつかえてニコニコしてて」
「……」
「それなのに何なのさっきの?ほんとシーザーって可愛げがな……」
ガシャンと音がしたのはシーザーが持っていたトートバッグをバイクに勢い良くぶつけたからだ
それで傷がついたわけではないが愛車に対しての事態にジョセフは怒鳴り声をあげた。
「てめぇ!何してくれてんだこの野郎ッ!」
「可愛げがなくて悪かったな」
「あぁ?」
きっとジョセフは自分を怪訝な目で見下ろしているだろう。
「可愛げがなくて悪かったって言ってんだよ。人に当たって、こんな風にカバンで殴りつけるような性格で悪かったって言ってんだよ!」
「何言ってんだよ、そこまで言ってねぇだろ!?」
「言ってるようなもんじゃあねえか!もういい!お前なんか出てけ!」
「な、何でそうなるんだよ……っおい!」
それだけ言うとシーザーは走り出した。
もう限界だった。これ以上耐えられる自信がなかった。
結局シーザーは家には戻らなかった
- - - - - - - - - -
……ゆっくりとした足取りで夜の道を歩く。
着信を告げるバイブレーションが鬱陶しくて携帯の電源は落としてしまったから今が何時かわからない。
それほど持ち合わせもなく漫画喫茶にはいったが狭い部屋と硬い椅子に耐えきれずに出てしまった。
「……」
帰ったら鍵を開けて部屋を温めなくてはいけない。もう部屋で待ってくれる同居人はいないのだから。
マンションの階段を登って通路を進むとつい足が止まった。
「……なんでいるんだ」
人の気配に気づいたのか、声が届いたのかわからないが家の前に座り込んでいたジョセフがこちらを向いて顔を綻ばせる。
「……おかえり」
「お前……」
「シーザーちゃん馬鹿なの?人に出てけとか言っといて自分がどっか行くとかさぁ?」
おかげで鍵を忘れたジョセフ君はこーやって待っていたのよぉ。
何もなかったように笑うジョセフを前にシーザーは言葉が見つからない。
「……なんで」
「ん?出てく気なんてないから。」
「そうじゃあなくて、俺、お前に色々と…」
「理由がなければ、あんな怒り方しないだろ?」
「……」
「高校ん時もそうだった。俺が喧嘩した相手のところいってボコボコにしてくれて。仮にも受験生だぜ?リサリサのおかげで助かったみたいなもんだ。」
「あれは…お前が理不尽な理由でやられてるから、というか何であのとき理事長が母親だって黙ってたんだよ!」
生徒五人を一人で倒したシーザーは相手にそもそもの原因があるにせよ退学、もしくは進路取り消しが妥当だと思っていた。
理事長室に呼び出され行ってみたら何度かあったことがあるジョセフの母親がいた。
ジョセフの母親、リサリサは理事長でありニッコリと微笑むと息子の敵を討ってくれた事への礼と今回の事件を無かった事にすること、前々から悪さの目立っていた生徒五人を退学処分にしたことをつげた。
いまさらそんなこと気にしなぁいの、とジョセフが笑う。
「俺あの時お前が俺の敵討ってくれたって聞いてすげえ嬉しかったんだ。」
「………」
「あの時から、俺はこいつと何があっても一緒に生きてくんだって思った。」
「…」
「お前は、何が嫌だったの?」
シーザー、と優しい声で呼ばれる。いつも自分の機嫌が悪いとき、精神的にいっぱいいっぱいで疲れている時ジョセフはいつもこうやって呼ぶのだ。
「…あの子が、俺に声をかけてきた時はなんでもなかったんだ。」
「うん」
「お前の名前が出てきて、お前に気があるって話をされたら、嫌になった。」
「うん」
もしかしたらあの女生徒はそこまで話していないかもしれないが、口にしてしまえばそんなのどうでもよくなってしまう。
「もしお前とあの子が一緒になったらこの部屋は今まで通りじゃあなくなるんだ。お前が出ていくか、俺が出ていくか。」
「……どっちも出てかねえって発想はなかったの?」
「あるわけないだろ。恋人ができたら少なくとも部屋に出入りするようになるんだ。そうしたら、俺は……いれなくなる」
あぁ、俺は二人の邪魔をしたくなかったのかと今までのわだかまりが一つすとん、とハマるように腑に落ちる。
「そうしたらもう朝の送りも、夜の迎えもなくなるんだろ?そんなの、そんなのって」
「シーザー」
名前を呼ばれて、いつの間にか下向きになっていた視線を上げる。あのね、と言ってジョセフはシーザーの手を引いた。前に崩れるような形でしゃがみ込む。
「きっと今も色々考えてるだろ?それはあの子のこと?」
「……なんか、違う。」
「じゃあ、俺とあの子、二人のこと」
ぎゅっと心臓を締められるような感覚に首を横に振った。
「じゃあ、なんのこと?」
「……」
「俺のこと?」
「そう、なのかな」
「きいちゃう?」
苦笑いをするジョセフをみて耐えるまもなく涙が出た。
違う、違うんだよ。
あの子の事でもなければ二人のことでもない
ジョセフのことでもない。
俺は
「俺と、お前のことしか考えてないんだ、きっと」
そうだ、自分とジョセフのことしか考えていない。二人がこれからも変わりなく二人で暮らしていけたら…それだけを優先に考えて勝手に不機嫌になってこうやってみっともなく泣いているんだ。
「あの子とお前が付き合ったら、嫌だ」
「そう」
「部屋だって、出たくないし出ていって欲しくない 」
「あとは?」
「…ジョジョの後ろに乗るのは、俺でいいんだ」
「そうね。それで?」
ジョセフの冷えきった手を包むように手を重ねた
「……きっと好きなんだ」
「きっとはないだろ?」
「好き、なんだ」
やっと気づいたのね、と笑いながら抱きしめられる。
こんなとこ近所の人にでも見られたら困るななんて考えて、それでもいいかと思って背中に手を回す
ジョセフの肩越しに見上げた空には星がまんべんなく輝いている。
明日はきっと寒くなる
- - - - - - - - - -
「おはよう。」
「……あぁっ!?」
目が覚めて最初に見えた光景に声を荒らげる。ジョセフが覗きこんでいるなんて…自分よりも早く起きているなんて!
「な、なんでお前ッ!今何時だ!」
「落ち着いて。今は9時。そして今日はお休み」
休日ならば何も問題はないか……
オーケー?と首を傾げるのを見てつい溜息を吐いた。
「それはいいとして、なんでお前起きてるんだよ…」
「シーザーとお出かけしようと思って。」
「……」
ほら、と言って向けてきたのは映画館のタイムスケジュールだ。
「シーザーが見たがってたやつ今日からだから観に行こうかと思って。昨日泣かせちゃったし?」
「なっ……いてない…」
昨晩のことを思い出して眉をしかめる。外であんな事をするなんて、普段の自分からしたら考えたくない。
「じゃあ、不本意にも泣かせてしまったのでってことでいい?」
「だから泣いてないって…」
「あーもううるせぇ。いいから早く出かける準備しろよ〜」
それだけいうと立ち上がってあっさり部屋から出ていってしまう。
「……」
結局何が変わったかと聞かれたらジョセフの長年の片想いは終わりを告げ二人の関係が友人及び同居人から恋人に変わったことぐらいだ。
もしかしたら都合のいい夢で全て嘘だったのかと疑ったが先ほどの態度からすると紛れもない真実なのだろう。
諦めて潔く立ち上がる。
カーテンを開けて窓を開けると早朝程ではないが冷たい風が鼻に痛みを残して抜けていく。
……今日も寒くなりそうだ。
支度を終えて洗面所からリビングに戻るとジョセフは見慣れない皮のジャケットを着ていた。
「初めて見た」
「何が?これ?」
「あぁ。珍しいな」
ビニール生地のジャンパーが暖かいとそればかり愛用していたジョセフを知っているシーザーには新鮮だ。
「だってそりゃあ、デートだもの」
「ッデ……」
デートっておまえ、男が二人も揃って何を言ってるんだ!
「はーい、言いたいことはわかるけど照れないの。時間ねえからもう出ようぜ」
「いやいやいや!お前まじで言ってんのかよ!」
「シーザー、」
「……何だよ」
振り返ったジョセフは笑っているとも怒っているともわからない表情でつい怯んでしまう。
と思ったらにんまりと言う表現があう顔になる
「早く行こうぜ」
「……あぁ」
なんとなく、本当になんとなく普段履かないブーツなんか履いてみる。
数回つま先で床をコツコツと叩いてから部屋を出る。
いつもと同じようにヘルメットを渡されて深くかぶってから後ろにまたがる
腰に手を回すのを確認するとバイクは走り出した。
いつもより遅いが、いつもと同じ道を走る。
空は真っ青で雲はどこにも見当たらない。
「……」
不意に笑い声が漏れる
「何ー?なんか言ったー?」
エンジン音に半分かき消されながらジョセフの声がする
「…何にもー!」
それに答えてから可笑しくて目の前の背中にもたれかかる。
(何にもないけど、いい朝だな…)
声に出すことはなく、風を切る感覚に目を閉じた。
super scooter ! おわり
起きてカーテンをあける。まだビルが敷き詰められたような街を明るくなり始めた空が照らす。
少しだけ窓を開けると冷たい風が滑り込んできて鼻にツンとした刺激を生む。
もう一度しっかりと締めてシーザーは障子を開ける。畳張りの自室とは逆にフローリングになっているリビングには当たり前に誰もおらず向かいの部屋の障子もぴったりと締められている。
「……さて」
フローリングの冷たさに内心悲鳴を上げながらテーブルの上に置かれたリモコンを手に取る。
テレビに電源が入ってから少し間があって画面にニュース番組が出る。昨日遅くまで起きていた同居人は音量を下げていなかったらしく急いで下げた。
「あのやろう…またやりやがったな。」
深夜に大音量で見るのはお隣にも迷惑になるかといつも言い聞かせるのに本人に治す傾向は全くない。
それでも起きないように音量を調節する自分に溜息が出る。
部屋の隅にあるヒーターに電源を入れてキッチンに向かう。
冷蔵庫を開けて何から使ってしまおうかと考えてから使い掛けのベーコンと卵を出した。
フライパンを火にかけて温まるのを待つ間にパンをトースターに入れた。
そろそろいいかと油を引くと油が跳ねる音が一気に鳴る。
タイミングは完璧だ。シーザーの気分はそれだけで少し上がる。
卵を二つ割ってまだスペースがあるなと思いベーコンも一緒に焼いてしまう。
視界の端で何かが動く気配がした。
「おはよ…」
「おはよう、ジョジョ」
寒いのか指の先までスウェットの袖を伸ばしたジョセフはまだ眠たそうに自分の部屋から出てきた。
「支度してこいよ。」
「んー……」
「こら、部屋が温まらないからヒーターの前に座るんじゃあねえよ。」
極めて優しくそういうとジョセフは素直に立ち上がって洗面所に向かった。
卵とベーコンの具合を見て食器棚から皿、冷蔵庫から昨晩の使い掛けの野菜の千切りを出した。
それを素早く皿に盛り付けてから卵とベーコンを乗せる。皿を二人分使っていたら洗い物が増えて仕方が無い、というシーザーは大皿一枚に乗せる。
焼けたパンをいったん皿に出してまた新しいパンをトースターに入れる。
「今日はシーザー何時まで?」
洗面所から戻ってきたジョセフにもう眠気はないらしい。寝癖も直されている。
「17時。それからバイトがあるから家に着くのは10時近くだな」
「そう。どうする?迎え行く?俺8時上がりなんだけど。」
「早いな」
「昨日納期で殆どデカイ仕事ないからね〜」
「じゃあ少しどこかで待っててくれよ。飯食ってこようぜ」
「了解。これ持ってってイイ?」
「あぁ」
カウンターからキッチンを覗いていたジョセフは卵とベーコンの乗せられた皿を片手にシンクの横に立てられていた箸を2膳抜き取った。
それから戻ってくると電気ケトルに水を入れてスイッチを入れた。
「何飲む?」
「紅茶。淹れてくれるのか」
「朝からそんなメンドクセーこと俺がすると思うわけ?」
「いいや。」
だろ?と笑いながらジョセフはティーパックの袋をひとつ破ってガラス製の急須に入れた。
それとマグカップを二つ手にしてテーブルに持っていきそのままソファに座った
パンの乗せられた皿とマーガリンを持ってシーザーも向かいに座る。
「ほら、テレビ見てんな」
「へい」
互いに相手がテレビを見ながら食べようが話しながら食べようが気にはしないがこれだけは二人揃わないと気がすまない。
合掌の形をしてどちらからともなく口を開いた。
「「いただきます。」」
super scooter!
二人は元々同じ高校の生徒だった。シーザーが三年生の時に新入生として入ってきたのがジョセフだ。
最初こそ仲が悪かったものの音楽の趣味だとか好きな映画だとかが合うということがわかるとあっさり仲良くなった。
シーザーが進学が決まったとき一番に喜んでくれたのはジョセフだった。第一志望に受かったことを伝えると休日だったにも関わらずシーザーの家にやって来て玄関で飛びついた。
今の家から電車で一時間ほどの所に部屋を借りた。理由は単に安いことと学校に近いことだ。
ジョセフとは学校に行ってからも変わらず連絡を取り合い休みの度に会ったりしていた。
それから2年後ジョセフの進路が決まった。小さなデザイン会社で、高校時代から美術部にいたジョセフは担任の伝でそこに就職が決まった。
そのことを聞いた時、シーザーの学校とそれなりに近いことを知った二人は若くて生活資金に余裕がなかなかない事、ジョセフも一人暮らしは何かと不安だろうという点で一つの案を出した。
少し大きめの部屋を借りて、同居しよう
先に話を持ち出したのはジョセフだった。最初は渋っていたシーザーにダメ押しで一つ条件を出す。
「俺、実は去年バイクの免許を取ったんだよねぇ。だから朝、シーザーちゃんを大学に送ってあげる。時間があるなら帰りも迎えに行く」
どう?と言いながら楽しそうに首を傾げるジョセフにシーザーは心が揺らいだ。
学校と家が近いといえども歩くには少しばかり距離があるしバイト先は更に先まで歩かなくてはいけない。自転車を買うタイミングを見失ったシーザーは健気に2年間も歩いて通ったのだ。
結局承諾してしまった。その後直ぐにジョセフの母親に連絡を取ったらこちらも不安だからぜひ頼みたいと逆に頼まれてしまった。
それから二人で部屋を借りた。
大きめのキッチン、洗面所と風呂場 ユニットバスではなくトイレは別につけられている。フローリングのリビングを間に挟むように設置された和室が2部屋。
若い二人には少し贅沢だと思ったが男二人で暑苦しく狭い部屋にいるのも嫌だからという理由とジョセフの母親が最初の間は少し負担する理由でそこに決めた。
それまで小さな部屋でひとり寂しく暮らしていたシーザーは少しばかり嬉しかった。
朝出る時間にそれほど差のない二人はジョセフのバイクで家を出る。ジョセフの会社までの道途中にある学校でシーザーを下ろす……さすがに校門前は恥ずかしいとシーザーが言うので100m程前で下ろすのがもう定番だ。
時間が合うなら帰りも迎に来てもらい買い物をしたりして二人で帰る。入社してすぐの頃は早く帰ることはできなく、いつもシーザーが夕飯を用意していた。
そんな生活ももう二年になる。シーザーは4回生になったし、人懐っこいジョセフはもう既に会社に溶け込んでいた。
二人でバイクにのってヘルメットを被るシーザーがジョセフの腰に手を回すのを確認するとバイクは走り出す。
まだ静かな街。すっかり晴れてしまった空は青く澄み渡っている。
走っている時のジョセフは基本的に何も喋らない。もちろんシーザーも、ジョセフがなにか言えばそれに返すくらいだ。
腰に回した手から伝わる体温が少しだけ寒さを紛らわす。
シーザーはそんな朝が好きだった。
- - - - - - - - - -
生徒がちらほらと増え始めるとシーザーは落ち着かないようにそわそわする。
いつもと同じぐらいの地点でブレーキをかけた。
「はい、いってらっしゃい。」
「悪いな。じゃあバイト終わったら電話するから。」
「うん。多分駅前のでかい本屋にいるから。いつものとこ」
「あぁ」
短くやり取りをしてジョセフにヘルメットを渡して歩き出す。
「シーザー」
呼ばれて振り返るとジョセフはまだそこにいた。
「…いってらっしゃい」
「ん?あぁ。お前も頑張れよ」
そう言ってやるとジョセフが嬉しそうにはにかんでから走り出す。あっという間に追い抜かれてみるみる背中が小さくなる。
始業まではまだ時間は十分にある。シーザーはゆっくりと歩き出した。
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昼の時間。有り合わせを詰めただけの弁当とカバンをもって席を立つ。向かう先は中庭だ。人の混み合う食堂よりも少しばかり寒くても落ち着いて食べれる場所が好きだ。
「あの、シーザーさん」
廊下に出たところで後ろから呼ばれて振り返る。同じ講義をよく取るが話はしたことのない女生徒だ。
「どうしたの?」
「あっ、えっと突然ごめんなさい…あの、シーザーさん毎朝男の人に送ってきてもらってますよね?」
「…見られてたんだね」
だから何だというのだろう。わざわざ追いかけて来て二人乗りは違反だなんて言い出すのだろうか。そんなのは分かっているつもりだ。
もしかして…デキているのかなんて聞かないだろうな。
慌てたように女生徒は頭を下げた。
「ごっ!ごめんなさい、あの気分を悪くしたなら謝ります。聞きたいことがあって……」
「謝らぬくてもいいんだよ。何だい?」
「あの、あの人とシーザーさんはどういう…」
「ただの高校時代からの友達だよ。」
それを聞いて安心したのか女生徒の大きな目が見開かれた
「あのっ…じゃああの人付き合ってる方とか…いるんですか?」
「……いないんじゃあないかな。どうしてだい?」
笑いながら胸がざわざわとして落ち着かない。なんとなく、この先の言葉を聞くことを拒否している自分がいた。
「あの、もし迷惑じゃなければ紹介してほしいんです…」
「…」
つまりこの子はジョセフに恋をしているのだとその表情を見てシーザーは納得が言った。
小さくて可愛らしい、足が長くてふんわりとしたまさに『女の子』という言葉が合うような子だ。
そういえばアイツ高校の時に胸の大きな子が好きだとかいっていたなぁ。
いいじゃないか。アイツの浮かれた話なんて聞いたことがないし、アイツが嬉しいなら俺だって諸手を挙げて喜ぶだろう。
あぁ、そうなったらアイツはあの部屋を出ていくのだろうか。いや、もしかしたら俺が出ていくべきなのか?
ジョセフは自分が一緒なら楽しくなりそうだな、と借りる時に嬉しそうに笑っていた。
その部屋に、俺はいられなくなるのか。 朝の送り迎えもなくなってしまうのか
そんなの
「……駄目だ」
「えっ?」
女生徒からの聞き返して自分が言ってしまったことに気が付く。
「えっと、ダメって…」
「いや、その……ほら!アイツはがさつだし、家事も何もできないし、そもそも年下だし」
自分は何を言い訳しているのだろう。まるで彼女が聞いたら、ジョセフに落胆するような言葉を並べて
「きっと、君のような素敵な女性はアイツに勿体ないよ。」
「……そう、ですか?」
自分はどんな顔をして今頷いているのだろう。きっと引き攣ったような笑い方をしている。
女生徒は少し俯いてから小さな声でわかりましたと呟いた。
「ごめんなさい。引き止めてしまって」
「いや、いいんだよ。こちらこそすまないね」
「じゃあ、私はもうこの後授業ないので、シーザーさん頑張ってください」
「ありがとう」
お辞儀をして小走りに去っていく女生徒の背中を眺める。
「何を、言ってるんだ俺は」
彼女とジョセフが二人でいるのを想像して腹が煮えくり返るような感覚を抱き、消してプラスにはならない情報を並べて。
まるで
嫉妬しているみたいじゃあないか。
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バイトを終えて店を出ると見慣れたバイクが目に留まる。ジョセフだ
「おかーえり」
「…ただいま」
いつから待っていたのか、笑う顔は真っ赤になっている。
「どうする?」
「何でもいい。何が食いたい?」
「何でもいいが一番困るって、いつもいうのはシーザーだぜ?」
「…そうかな」
昼間のことを思い出して少しざわざわとする。疲れた時と機嫌が悪い時に投げやりにやるのはシーザーの悪いくせだった。
どうやらそれを疲れているととったらしいジョセフはシーザーのマフラーを奪い取る
「じゃあ、久しぶりに肉食べに行こう。ハンバーグ?焼肉?」
乱雑に巻いてあったのが気になったのか丁寧に、首が締まらないように巻かれていく。
こんなに優しいのに何を嫉妬しているのか、とシーザーは自分に嫌気がさした。
「ハンバーグ…」
「ん。」
じゃあ乗って、とジョセフはヘルメットを手渡した。
手にヘルメットを持ったまま立ち尽くすシーザーはバイクに跨るジョセフをぼんやりと見下ろす。
「……ジョジョ」
「ん?」
呼ぶとジョセフは見上げてくる。
「……なんでもない。」
「そう?」
シーザーもヘルメットを被って後ろに跨る。腰に手を回すと手袋をはめた手が上から重なる
「なんだ」
「なんでも。ほら、行くぞー」
本当に何もなかったようにジョセフは手を離して走り出した。
冬の夜は寒くて嫌いだとシーザーは目を閉じた。
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それから数日は何もなかった。
あの日のことは気にならない程度には忘れてしまっていたし、女生徒の方からも何も言ってくることはなかった。
大学の廊下を息をあげて走る。今日はジョセフが迎えに来てくれたのだ。今から出るとメールしたあと教授に呼び止められて思いのほか時間がかかってしまった。
玄関を出て人の少ない校門へ向かう。邪魔にならないように端に止まっているジョセフが目に入る。
「っ!ジョ……」
声が自然に途切れる。最悪だ、という言葉が無意識のうちに浮かんだ。
そこにいたのはジョセフと嬉しそうに笑って話しをする先日の女生徒だ。
向こうが気づく前に一度引き返してしまおうと思ったらそうはうまくいかないらしく一歩後ずさりしたのと同時にジョセフと目が合ってしまった。
「シーザー!」
人の名前を呼びながら手を振るんじゃあないと普段なら起こるところだがそんな言葉は出ない。こちらをむいた女生徒も少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「何してんだよこっち来いよぉ〜」
「……」
「あっ、というかさぁ!お前なんでこの人のこと黙ってんだよぉ〜!」
この人、というのは女生徒の事だろう。
「いいんだよ、私も大丈夫って言ったから」
どれほど前から話をしていたのかしらないがすでに慣れ親しんだような話し方をしている。
こちらに駆け寄ってきた女生徒は笑いながら唇の前で手を合わせる。
「ごめんなさい、変える時にちょうど彼がいて、声かけちゃったのは私なんです。」
「そうそう、シーザーが来ねえから待ってたら話しかけてくれたワケ」
バイクを押しながらジョセフもこちらに近づいてきた。
何も言えずにいると女生徒がのぞき込んでくる
「あの、具合でも悪いんですか…?」
普段なら笑って返事をするだろうが今はその心遣いが鬱陶しい。
ジョセフが明るい声を出す
「あー、ソイツ機嫌悪くなると黙っちゃうから、気にしなくていいよ〜。」
「そんな言い方したら駄目だよ」
気持ち悪い、と口に出さないのが不思議なほど腹が立つ。
そんな風に見上げるな、作ったような声で話しかけるな。ジョジョもデレデレとしてるんじゃあない。
形にならない苛立ちがさらに大きくなっていた。
「帰る」
「はぁ?」
「え?大丈夫ですか?」
「気にしないでくれていいから。」
じゃあな、と手を振って歩き出す。ジョセフが呼ぶ声が聞こえるがそんなの知ったこっちゃない。
今は、早くこの場から去りたかった。
「シーザー!」
校門を出た時聞こえた声に何も考えたくなかった。
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「…シーザー!」
追いかけてくるだろうなとは思っていたがいざその通りになるとうんざりとする。
バイクを押しながらジョセフは横に並んだ
「どうしたんだよシーザー、何かあったのかよ?」
「何もない。それより彼女置いてきたのか」
「しょうがねぇだろ?折角迎えに来てやったらさっさと歩いてくんだから」
お前が心配で追いかけてきましたとは思っていないのかと考えたらシーザーの気分はさらに沈んだ。
「ほっとけよ、早く戻ってやれあんなにいい子滅多にいないだろ」
「それホントに思ってんの?そうとは思えねえけど」
「……」
「お前珍しくすげぇ態度だったぜ。普段のスケコマシはどうしたよ。」
「……」
何も言えずにいるとジョセフはさらに追い討ちをかける。
「あの子言ってたぜ、きっと自分がいけないからシーザーは悪くないって」
そんなこと、本心で言ってると思ってるのかこのバカは。
お前に少しでもよく思われたくて言ってるとしか思えない。だって彼女は自分の本能のままにお前に声をかけたのだから。
「いい子だよなぁ、気がつかえてニコニコしてて」
「……」
「それなのに何なのさっきの?ほんとシーザーって可愛げがな……」
ガシャンと音がしたのはシーザーが持っていたトートバッグをバイクに勢い良くぶつけたからだ
それで傷がついたわけではないが愛車に対しての事態にジョセフは怒鳴り声をあげた。
「てめぇ!何してくれてんだこの野郎ッ!」
「可愛げがなくて悪かったな」
「あぁ?」
きっとジョセフは自分を怪訝な目で見下ろしているだろう。
「可愛げがなくて悪かったって言ってんだよ。人に当たって、こんな風にカバンで殴りつけるような性格で悪かったって言ってんだよ!」
「何言ってんだよ、そこまで言ってねぇだろ!?」
「言ってるようなもんじゃあねえか!もういい!お前なんか出てけ!」
「な、何でそうなるんだよ……っおい!」
それだけ言うとシーザーは走り出した。
もう限界だった。これ以上耐えられる自信がなかった。
結局シーザーは家には戻らなかった
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……ゆっくりとした足取りで夜の道を歩く。
着信を告げるバイブレーションが鬱陶しくて携帯の電源は落としてしまったから今が何時かわからない。
それほど持ち合わせもなく漫画喫茶にはいったが狭い部屋と硬い椅子に耐えきれずに出てしまった。
「……」
帰ったら鍵を開けて部屋を温めなくてはいけない。もう部屋で待ってくれる同居人はいないのだから。
マンションの階段を登って通路を進むとつい足が止まった。
「……なんでいるんだ」
人の気配に気づいたのか、声が届いたのかわからないが家の前に座り込んでいたジョセフがこちらを向いて顔を綻ばせる。
「……おかえり」
「お前……」
「シーザーちゃん馬鹿なの?人に出てけとか言っといて自分がどっか行くとかさぁ?」
おかげで鍵を忘れたジョセフ君はこーやって待っていたのよぉ。
何もなかったように笑うジョセフを前にシーザーは言葉が見つからない。
「……なんで」
「ん?出てく気なんてないから。」
「そうじゃあなくて、俺、お前に色々と…」
「理由がなければ、あんな怒り方しないだろ?」
「……」
「高校ん時もそうだった。俺が喧嘩した相手のところいってボコボコにしてくれて。仮にも受験生だぜ?リサリサのおかげで助かったみたいなもんだ。」
「あれは…お前が理不尽な理由でやられてるから、というか何であのとき理事長が母親だって黙ってたんだよ!」
生徒五人を一人で倒したシーザーは相手にそもそもの原因があるにせよ退学、もしくは進路取り消しが妥当だと思っていた。
理事長室に呼び出され行ってみたら何度かあったことがあるジョセフの母親がいた。
ジョセフの母親、リサリサは理事長でありニッコリと微笑むと息子の敵を討ってくれた事への礼と今回の事件を無かった事にすること、前々から悪さの目立っていた生徒五人を退学処分にしたことをつげた。
いまさらそんなこと気にしなぁいの、とジョセフが笑う。
「俺あの時お前が俺の敵討ってくれたって聞いてすげえ嬉しかったんだ。」
「………」
「あの時から、俺はこいつと何があっても一緒に生きてくんだって思った。」
「…」
「お前は、何が嫌だったの?」
シーザー、と優しい声で呼ばれる。いつも自分の機嫌が悪いとき、精神的にいっぱいいっぱいで疲れている時ジョセフはいつもこうやって呼ぶのだ。
「…あの子が、俺に声をかけてきた時はなんでもなかったんだ。」
「うん」
「お前の名前が出てきて、お前に気があるって話をされたら、嫌になった。」
「うん」
もしかしたらあの女生徒はそこまで話していないかもしれないが、口にしてしまえばそんなのどうでもよくなってしまう。
「もしお前とあの子が一緒になったらこの部屋は今まで通りじゃあなくなるんだ。お前が出ていくか、俺が出ていくか。」
「……どっちも出てかねえって発想はなかったの?」
「あるわけないだろ。恋人ができたら少なくとも部屋に出入りするようになるんだ。そうしたら、俺は……いれなくなる」
あぁ、俺は二人の邪魔をしたくなかったのかと今までのわだかまりが一つすとん、とハマるように腑に落ちる。
「そうしたらもう朝の送りも、夜の迎えもなくなるんだろ?そんなの、そんなのって」
「シーザー」
名前を呼ばれて、いつの間にか下向きになっていた視線を上げる。あのね、と言ってジョセフはシーザーの手を引いた。前に崩れるような形でしゃがみ込む。
「きっと今も色々考えてるだろ?それはあの子のこと?」
「……なんか、違う。」
「じゃあ、俺とあの子、二人のこと」
ぎゅっと心臓を締められるような感覚に首を横に振った。
「じゃあ、なんのこと?」
「……」
「俺のこと?」
「そう、なのかな」
「きいちゃう?」
苦笑いをするジョセフをみて耐えるまもなく涙が出た。
違う、違うんだよ。
あの子の事でもなければ二人のことでもない
ジョセフのことでもない。
俺は
「俺と、お前のことしか考えてないんだ、きっと」
そうだ、自分とジョセフのことしか考えていない。二人がこれからも変わりなく二人で暮らしていけたら…それだけを優先に考えて勝手に不機嫌になってこうやってみっともなく泣いているんだ。
「あの子とお前が付き合ったら、嫌だ」
「そう」
「部屋だって、出たくないし出ていって欲しくない 」
「あとは?」
「…ジョジョの後ろに乗るのは、俺でいいんだ」
「そうね。それで?」
ジョセフの冷えきった手を包むように手を重ねた
「……きっと好きなんだ」
「きっとはないだろ?」
「好き、なんだ」
やっと気づいたのね、と笑いながら抱きしめられる。
こんなとこ近所の人にでも見られたら困るななんて考えて、それでもいいかと思って背中に手を回す
ジョセフの肩越しに見上げた空には星がまんべんなく輝いている。
明日はきっと寒くなる
- - - - - - - - - -
「おはよう。」
「……あぁっ!?」
目が覚めて最初に見えた光景に声を荒らげる。ジョセフが覗きこんでいるなんて…自分よりも早く起きているなんて!
「な、なんでお前ッ!今何時だ!」
「落ち着いて。今は9時。そして今日はお休み」
休日ならば何も問題はないか……
オーケー?と首を傾げるのを見てつい溜息を吐いた。
「それはいいとして、なんでお前起きてるんだよ…」
「シーザーとお出かけしようと思って。」
「……」
ほら、と言って向けてきたのは映画館のタイムスケジュールだ。
「シーザーが見たがってたやつ今日からだから観に行こうかと思って。昨日泣かせちゃったし?」
「なっ……いてない…」
昨晩のことを思い出して眉をしかめる。外であんな事をするなんて、普段の自分からしたら考えたくない。
「じゃあ、不本意にも泣かせてしまったのでってことでいい?」
「だから泣いてないって…」
「あーもううるせぇ。いいから早く出かける準備しろよ〜」
それだけいうと立ち上がってあっさり部屋から出ていってしまう。
「……」
結局何が変わったかと聞かれたらジョセフの長年の片想いは終わりを告げ二人の関係が友人及び同居人から恋人に変わったことぐらいだ。
もしかしたら都合のいい夢で全て嘘だったのかと疑ったが先ほどの態度からすると紛れもない真実なのだろう。
諦めて潔く立ち上がる。
カーテンを開けて窓を開けると早朝程ではないが冷たい風が鼻に痛みを残して抜けていく。
……今日も寒くなりそうだ。
支度を終えて洗面所からリビングに戻るとジョセフは見慣れない皮のジャケットを着ていた。
「初めて見た」
「何が?これ?」
「あぁ。珍しいな」
ビニール生地のジャンパーが暖かいとそればかり愛用していたジョセフを知っているシーザーには新鮮だ。
「だってそりゃあ、デートだもの」
「ッデ……」
デートっておまえ、男が二人も揃って何を言ってるんだ!
「はーい、言いたいことはわかるけど照れないの。時間ねえからもう出ようぜ」
「いやいやいや!お前まじで言ってんのかよ!」
「シーザー、」
「……何だよ」
振り返ったジョセフは笑っているとも怒っているともわからない表情でつい怯んでしまう。
と思ったらにんまりと言う表現があう顔になる
「早く行こうぜ」
「……あぁ」
なんとなく、本当になんとなく普段履かないブーツなんか履いてみる。
数回つま先で床をコツコツと叩いてから部屋を出る。
いつもと同じようにヘルメットを渡されて深くかぶってから後ろにまたがる
腰に手を回すのを確認するとバイクは走り出した。
いつもより遅いが、いつもと同じ道を走る。
空は真っ青で雲はどこにも見当たらない。
「……」
不意に笑い声が漏れる
「何ー?なんか言ったー?」
エンジン音に半分かき消されながらジョセフの声がする
「…何にもー!」
それに答えてから可笑しくて目の前の背中にもたれかかる。
(何にもないけど、いい朝だな…)
声に出すことはなく、風を切る感覚に目を閉じた。
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