「眠るとき羊を数えるのはなんのためだと思う?」

背後から聞こえた声に振り向くとシーザーが椅子に足を組んで座っている
その手にはリンゴとナイフが持たれていてするすると皮が魔法のように剥がれては床に落ちていく

「なんだっけな、えーと催眠誘導……だったかな?」
「そう、それだそれ。脳に一定のリズムで刺激を与えて眠りまで誘導する。一種の催眠術だな」
今日の彼は饒舌だ機嫌よさげにぺらぺらと話す。まるで昔そうして女性に愛を語るようなそんなちょうしで
(…女の子口説いてんのはいつものクセか)
寝ぼけてんのかなと自分で思う。今も彼は口を止めない
「ただ、もう一つあるんだぜ。これは直接関係のある話ではないがな」
「何々?」
「羊を意味する『sheep』と眠ることを意味する『sleep』は発音が良く似ているだろう?だからそこにひっかけてあるんだとよ」
「ふぅん、sheep、sheep、sheep、swi-pu、swi-pu、sleepってか?まるで子供の言葉遊びだ。」
『sheep』から初めて徐々に発音に違いをつけて『sleep』までかえてからジョセフはケラケラと笑う。シーザーはかわらずリンゴの皮を剥き続けて皮は床に羊を描くように妙な形に落ちていく
「その子供がお前なんじゃあないか?」
「にゃにをぉ〜う?」
外で水が流れるような、雨のようなそんな音がする空はこんなにも晴れきっているというのに、誰か水でもまいているのだろうか。
「あー、なんかそんな話してたら眠くなってきちった。」
「寝るなら一人で寝ろよ」
「まさか、あんな埃っぽいベッドでねろっていうの?冗談じゃないゼ」
「じゃあどうする?たったまま眠るのか?」
「こーやって窓によりかかって寝るのもきっと絵になるだろなぁ。なんたってジョセフちゃんだしィ?」
「バカ言えよ。ほら、俺のベッドを使えばいい。それにここは俺の部屋だからな」
「まじ?やりぃ」
珍しいこともあるもんだと言わんばかりにジョセフはベッドにとびのった。
視界のすみになにか写って埃か何かかと思ったがそれはシャボン玉だ。光をまといながら空に登っていく。赤い光が鈍く輝いている
(……赤?)
なにか不思議に感じながらその赤がベッド横に置かれた花の色だと気付く。
(あぁーこれね。ハイハイ)
「寝れないのか?」
ふいにシーザーが声をかけてくる。そちらを向くとシーザーは視線を落としたまま変わらずりんごを剥いている
「うんにゃ。別に寝れる」
「そうか?なんなら羊を数えてやらんこともないぞ」
「イタリア男のお前に正しく発音できるかにゃー?」
「馬鹿を言え」
結局シーザーは羊を数えることはしない。するするとリンゴの皮は床に床に山を作り白い面が見えてまるで雪山のようだ
「俺りんご食べたいんだけど、早くむけないのぉ?」
「そう慌てるなよ。ほらもう少しだから」
落ち着いた声でそういうシーザーはかわりなくりんごをむく
その光景はとても絵になって、美しかった。
だから、というわけではないけれどふと口を開いてしまった。
「……なぁ」


シーザーって、リンゴ好きだっけ?



「……」
つい声にした言葉にシーザーは何も言わない。するするとリンゴの皮は床に落ちて水面に波紋のようなかたちを作る
「お前、たしかリンゴ嫌いじゃあなかった?大丈夫になったっけ?」
「むく音が嫌いってだけで食えないとはいってないだろ」
「自分でむくのはいいわけ?」
「…今日はそんな気分なんだ」
「そう」
そうか、気分ならば仕方ないなとジョセフは仰向けに転がる
天井はこの館の歴史を感じさせないほどに綺麗だ。
気づくと外は暗くなっている。暗くなっているなとは思うのにいぜん海は青いままだ
「時間が立つのははやいよなぁ」
「ん?あぁ、そうだなぁ」
「今日は修行はないんだっけ」
「いま屋敷には誰もいないからな」
「そうかぁ」
あの厳しい修行が一日でもないのかと思うと胸が踊る。
何をしようか。シーザーと何をしようかな
「何するか!?」
「え?」
「誰もいねえんなら、俺らだけなら遊ぼうぜ!こんな広い館なら退屈もしない!」
「そんな、こんな日が暮れかけているのに?」
「それでもだよ!あーこんな日が毎日続けばいいのになぁ」

俺がいて、シーザーがいて師範代たちがいてリサリサがいてスージーQがいて
そんな毎日もいいけれどたまには何もせず青い空と海に囲まれてうまいもん食べながらさ、こんないいところでぐだぐだしたいよな

「本当にそう思う?」
「ん?」
天井からシーザーに目線を移すと今度はりんごを剥く手を止めてこちらを向いている
「ここで、毎日気ままに暮らせたらと思うのか?」
「……まぁ、たまにはいいかなって。ほら、ここならシーザーもいるし!」
ここならという言い方はおかしいだろうか。別にほかのところでもシーザーと出かけたらそれでいい。
いや
この部屋以外にシーザーはいない
(……?)
違和感を抱える。シーザーはまたリンゴをむいている。リンゴの皮がするすると魔法のように剥がれては床に落ちて立ち上がるように花が咲いた。いろいろな花が彼の周りに咲き乱れて、そのなかでも一輪だけ向日葵がとても目を引く
(シーザーにはやっぱ向日葵だよなぁ。太陽の色)
「本当に、ここにいれたらと思うのか?」
シーザーがもういちど尋ねる
「そりゃあ、こんな別荘みてえなとこで暮らせたらと思うし、シーザーの部屋は陽あたりいいし綺麗に掃除されてるし。」
喉が乾いたな、とベッド横の花が飾られたテーブルに置かれたコップに手をかける。
手にとってみるとコップは空だった。水垢が白く縁をつくり、コップはなんとなく干からびたように汚れている
「ジオラマをしってるか?」
「あれだろ?あの、美術館とかの展示」
「そう、それだそれ。ある空間や建物を立体造形で再現したものだ。」
「あれすげえよな、マンモスとか見るとワクワクする」
「子供だな」
「にゃにを〜ぅ?」
「ただ、その空間を作り上げたところで時間は立つな」
「…まぁ、そうだな……?」
「時間はたって埃は積もり水は蒸発して。そしてやっぱ作り物だから四季は変わらない」
「…」
リンゴの皮はするするとむけ床に落ちてはシーザーを囲むように、つたは椅子に絡まり花が生い茂る。
「ここで晴れた空か夜の空しか見えないのはお前がこの窓からその空しかみたことがないからだ」
「どういうことだよ」
「俺が永遠にリンゴを剥くのは俺がリンゴを剥く姿しか想像してないからだ」
「なんの話だ?」
「俺がリンゴを剥くのをやめないのは、剥き終わってからどうするかお前が知らないからだ」
こちらを向いたシーザーの目は曇りなく見開かれている

「お前がここにいるのはなんのためだと思う?」
「それは、今日は修行がないから」
「お前はここまで話してもわからないんだなぁ。」
「なんのことだ!」
「じゃあ質問を変えよう。ここが」



誰かのジオラマならどうする?


「……ここがなんだって?」
「ここが誰かの作り上げた夢で、幻想で現実逃避だとしたら、どうする?」
「そんなわけ、ないだろ」
「俺が女の子を口説いていたのはいつの記憶だ?」
「……」
「ここがお前の作り上げた夢で、幻想で現実逃避だとしたら、どうする?」
「……」
「ジョジョ、ここはな」


ジオラマみたいなもんだよ。

「……」
「俺かお前か知らないが、いずれにせよ作られた世界だ」
「スタンド攻撃か……?」
「俺はそれを知らないし、例えそうだとしてもお前も俺もいずれはここに足を踏み入れるよ」
「そんな、わけがわからない」
「そうだな。じゃあこういう仮説を建てようか。
俺はここが好きだった。この部屋も外から見える景色も。
お前もここが好きだった。空も海もこうやって俺と話をすることも案外楽しかったんじゃあないか?
それで二人のここに対する執着は粘度を増して形を作り色がついてジオラマのように形になる。」
「俺の頭には……理解できねえぜ」
「それはお前が子供だからだ。」
以前変わりなく平坦な口調でシーザーは話す。リンゴは皮が身から綱のように床に続いている。
「なぁジョジョ」
「なんだよ」
「blacksheepを知ってるか?」
「……俺の国では厄介者を意味するぜ」
「そうだ。昔、黒い毛を白く染める技術がなかった時代黒い毛は価値が低かったことに由来する」
「だからなんだよ、俺のことが厄介だっていいてぇのかよ」
「まさか、厄介なのは俺のほうだろ」
視線を上げる。きっと自分はどれほど不機嫌な顔をしているだろう。
「やっと前にすすめるお前にこんな形で邪魔をしている俺の方が厄介だ。そうだろ?」
「そんなことっ……!」

す、と目の前に赤いものが現れる。シーザーの差し出したリンゴだ。その身に傷はなく赤くてらてらと光っている

「リンゴの花言葉は誘惑だ」
「……」
「こんな風にお前を誘惑して縛ろうとしてる俺は厄介だ」
「俺はそうは思わない……」
「いいや、お前がどれほどそんなことないと思っても厄介なものは厄介だ。」
窓の外は暗くなり、部屋も少しずつ明かりがなくなる。
「お前は、帰らなきゃあいけねえな。」
「シーザー」
ベッドからは埃が舞い上がり煤けて、解れている
「縛り付けて悪かったな。楽しかったよ」
「シーザー、俺はまだ」
目の前のりんごは腐敗してシーザーの手から崩れ落ちる
「また、な。」
「シーザーッ!」

どこかで羊がないた気がした





「あ、おはようございます、ジョースターさん。」
「……」
体に伝わる振動で目を覚ますと花京院がそんな声をかけてくる。
車の後部座席、どうやら眠っていたらしい。
「さっき雨がやんだんですよ。ほら、ここらへんは遊牧地になっているんです。」
「すげーんだぜッ!牛もヤギもめちゃくちゃいてよぉ!」
ポルナレフが嬉しそうに助手席から身を乗り出してアブドゥルが怒声を上げる。
確かに見渡せば右も左も草原が広がっている。
「あ、羊ですよ。あそこ」
花京院の指さす先に羊がいくつか群れをつくっている。
「すごいですねぇ。今でこそ染める技術が発展したものの、昔は黒い毛を白く染めることが難しくって黒い羊は価値が低かったんですって。」
「たしかイギリスとかでは厄介者とかのことを黒い羊っていうんだろ?そういうのが由来なのかもなぁ〜」
黒い羊が群れから外れて歩き進むわけでもなくそこに佇んでいるのを見つける
「………おい、ジジイ。どうした」
「あ、いや。なんでもない」
「なんだよぉ〜!俺達の話聞いてたのかよぉ〜?」
「聞いてたとも、そうさな……」






わしの嫌いな、言葉だな。






黒い羊を知ってるか。 おわり

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外国では羊の鳴き声は「メー」じゃあなくて「Baa」って表すよね。かわいい。
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