「春だなぁ、あのね桜の花びらって一枚で見ると白に近いピンクなんだ。それがいくつも集まってこんなに綺麗な色になるんだよ。」
自分の後ろを遅れてついてきている男がぼんやりと呟く。振り返ってみると男は立ち止まって桜の木を見上げている。
「花京院、男がそんなことしてても絵にならねえぜ」
声をかけると男は―花京院は見上げるのをやめた。目を細めて笑うと瞼の傷跡が見えた。
「誰も絵になろうとしたわけじゃあない。それとも何かい?可愛らしい女の子じゃあないと立ち止まって桜を見上げるのも許されないのかい?」
これは怒っているわけじゃない。ただからかっているだけなのだと思った。
どうやらこの男、自分をからかうのが好きらしく 何かしてはヘラヘラと笑いながら逃げていく。
いつもならそれでもいいが今日はそうもいかない。
「そうとは言ってねぇ。ただ急げと言っているんだ。」
始業式から遅れるわけにはいかないだろう。去年だって転校してすぐに登校拒否――拒否というには問題があるが今はこの一言で済ませても構わないだろう。――になって、それから丸一年休学扱いになったのだ。それだけでも目立つというのに遅れたらさらに際立ってしまう。
「不良の君がそれを言うのかい?というか、顔見知りなんていないし、そもそも転校してきたばかりでいなくなった生徒なんてみんな忘れてるよ。他学年まで広まってるわけが無い。」
「なら余計に大人しくしやがれってんだ。」
「煩いなぁ。君エジプトから戻ってから不良というよりはただちょっと機嫌が悪くて、無表情でかなり捻くれただけの普通の人になったんじゃあない?」
「よくわからねえことをいうな。」
そもそもそれだけ問題が揃ってたらその時点で「普通の人」ではないだろう。と突っ込んだらまた何か言われそうだからそれ以上は突き詰めない。
「ほら、行くぞ」
「はいはい。あーあ、君と学年が違うなんて面白くないな。承太郎先輩なんて言わなきゃあいけないのかい?」
「俺はてめぇみてーな後輩はゴメンだな」
「こっちこそ、君みたいな頑固で怒っているのか笑っているのかわからない先輩は嫌だね。ずっと機嫌を取らなきゃいけないだろう?だったら、友達ぐらいでちょうどいいや」
「……お袋が、晩飯食いに来るかって言ってたぞ」
「ほんと?楽しみだなぁ。そういえばこの前頂いた肉じゃがね、母さんが作り方聞きたいって」
「俺に言わずに本人に言ってやれ。多分飛んで喜ぶぜ」
「違いないね。ウチまで来て教えてくれそうだ」
「その為にもまずは始業式とっとと終わらせるぜ」
「そうだね、承太郎先輩」
んふふ、と良く分からない噛み殺しきれていない笑いが聞こえる。何がそんなに楽しいのかわからない。
春だなぁ、と呑気な声が聞こえた。
春は七色 桜色
ジッジッ、と短い声がしてからジーーーッと長い耳障りな声が響く。これがここの所毎日続いている。
そんな声を耳にしながら扇風機を強に設定した畳張りの自室でガチャガチャとコントローラーを動かす。
蝉の声と扇風機の羽が風を切る音、コントローラーの音、ゲームの効果音 それ以外は何も音がない。
「…僕はね、じょうたろ、」
「っなんだ…っち」
画面の中では承太郎の操作する小さな車が曲がり切れずに崖から落ちてお助けキャラに引き上げれるところが映っている。
「漫画なんかで、蝉の声はミーーンって書かれるけどあれは違うと、思うっ、んだ」
「言いたいことはわからないでもないぜ」
「濁音が…ついてると思うんだよ、全体的に」
特にオチも見つからないような会話を繰り広げる。ちょうど二人とも最終コースに差し掛かるところだった。
「雑音に近いよ、部類的には」
「というかノイズに、近ェよな」
最終コースになれば、後は速さがモノを言う。邪魔キャラに当たらないように避け、アイテムも攻撃系と加速系以外は無視する。
「これを聞くと夏休みだ、って気に、なるけれど、どうしても朝早くからラジオ体操に、行かなきゃという倦怠感が湧くよ」
「俺は川で、ザリガニとった頃のことを思い出すぜ」
「君の家、そんな事できるところ、あるか?」
「チャリで、15分くれぇだな……っよし」
ゴールしたのを見届けた反射でコントローラーを床に投げ出す。花京院が隣でちくしょう!と言って倒れこんだ。
「なんで君最後になると強いんだい?イカサマか?」
「花京院、イカサマはバレなきゃあイカサマじゃねえんだぜ」
「君まじでか!スタンドにそんなことさせてたのか!」
「んな事してる暇があったら外の蝉を片っ端から黙らせてるぜ」
スコアが映し出される画面もそのままに二人して寝転ぶ。畳がひんやりとして気持ちいい。
「昼飯、どうするか」
「母さんが冷やし中華してくれてあるよ」
「そうか…」
「………」
会話がなくなって聞こえるのはまた先程と同じ、蝉の声と扇風機の羽が風を切る音、それからゲームの効果音だ。
「あ」
「ん」
急に起き上がった花京院の方に首を傾ける。すいか、と聞こえてそういえばと思い出す。
「持ってきてたな」
「それも丸々一個ね」
「持ってくる身にもなれってもんだぜ」
「まぁまぁ、お陰でこうしてグダグダしたあとに冷やし中華を食べて、それから冷やしたスイカを食べれるんだ。そのための労働なら安い物だろ?」
「ここがおめえの家で、おめえは待ってるだけだから言えるんだ。」
「……まぁ、何にしても」
「あっちぃな……」
この季節は全てが鮮やかな原色をしていて嫌いだ。
青い絵の具をそのまま溶かしたような空も、くっきりとした白い雲も深緑の山も全部うるさくて外に出る度うんざりする。
それを見る度に今年の夏は何をしようかとワクワクしていた子供の頃が懐かしい。
「夏は絵としてはとても題材にしやすい。」
「絵?」
「そう。冬みたいに色がない訳じゃあなくて、春みたいにぼんやりとしている訳でもなくてクッキリと鮮やかで一色一色がちゃんとしていて、描きやすい」
「…だから去年あんなに外に行きてえとか言ってたのか」
「病院は白一色だから、僕は絵の具で手が汚れるのを見て絵を描いたなーって思うから」
つまり、つまらなかったんだよ。と花京院は座ったまま自分を見下ろしてニッコリと笑う。
「……飯食ったら出かけるぞ」
「どこに?」
「さっき言ってた川。山の方に行くから田んぼもあるし、程よく田舎だ。気に入ると思うぜ」
「……じゃあ、急いで支度しないとね」
そう言って花京院はゲーム機の電源とテレビの電源を切る。
「扇風機止めて窓閉めてきて、冷やし中華出しておくから」
「…おう」
それだけ言い残して花京院は部屋を出る。姿が見えなくなるときに緑色の触手が見えたのはあいつの親友も楽しみなのだろうかと思った。
「……夏は、そう考えると暖色がねえな。」
空も青、海も青、山は緑で、祭りは黒…の中にポツポツと黄色や赤が散っている程度
暑さを和らげるために寒色ばかりなのかと少し考えて馬鹿らしくてやめる。
「……」
扇風機のスイッチを足で切りながら窓を閉める。
きっと外に出たら花京院の赤髪はとても綺麗に映えるだろう。それを絵に残せなくて、本人は悔しいだろうなと承太郎は少し笑った。
夏は七色 青い色
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、昨日まで「本当に冬が来るのか」と思うほどの暑さはめっきりなくなってしまった。
もうそこら中紅葉して、以前の桜並木は次の春に向けて休業体制に入り始めている。
「秋はなんというか、ほんとーに通過点って気しかしない」
「そうだな」
「春はさ?寒い冬から夏にかけてじわじわと暖かくなって、景色も明るくなってするのに秋は夏から冬への通過点でしかないからつまらない」
「そーだな、でもな花京院よ」
そんなに旨そうに焼き芋を頬張りながら言われても説得力がないんだぜ、と言ってやると花京院は口をもごもごとしたままちらりとこちらに目をやる
「いいだろ、秋の楽しみなんてこれしかないんだ」
「お前さっき栗も買ってたな」
「だいたいさぁスポーツの秋、食欲の秋、芸術の秋、読書の秋ってどんだけ体力蓄えさせて引き篭もらせたいんだい?完全に冬眠に入ってるじゃあないか。」
「そのくせお前はそれを全部楽しんでるよな。」
体育祭でもクラスの友人と笑いながら競技をこなしていたし毎日こうして秋の旬を楽しんでいる。絵の制作もしているようで手に絵の具がついたままなのをよく目にする。待ち合わせの度に何かしら読んでいるのもみる。
「お前は人生楽しそうだな」
「楽しいさ!こうやって元気なのはいいけどね!秋だけは!通過点でしかないのに魅力が多くて僕は悔しいんだよ!」
「嫌いになれねえからな。」
今日のこいつは面白いな、と少しばかり思う。機嫌が悪そうに怒りながらも頬張るのはやめず、既に二つ目に入っている。
「でもね、紅葉だけは好きなんだ。赤とか黄色が混じって、モザイクアートみたいで」
「……そうか。」
確かに上を見ても下を見ても辺り一面鮮やかで何とも言えないな、とは思う。
「ちなみに、今は何を書いてるんだ?」
「……モザイクアートしてる」
「そうか」
これはいつごろ出来るのだろうか。
いつ頃になるかしれないがしばらくは花京院がいう通過点とやらを楽しめそうだ
秋は七色 赤い色
何十年ぶりの大雪、ともう既に何回も見た謳い文句に溜息が出る。
年末は全く降らなかったくせに二月に入ったと思ったらこの大雪だ。春が来るのかと思うほどに外は真っ白だ。
そのせいで思いもしない休校になったのは、少しばかり喜びたいところだが。
「……」
チャンネルを回しても昼前なのもあってニュースか面白くもないバラエティしかやっていない。こんな事ならこの前こっちに来た祖父にゲーム一式を貸すんじゃあなかったと思う。
どうせ母親も向こうに行ったっきり飛行機が全便運休で動けずにいないのだから、寝てしまおうかと思っていると呼び鈴が鳴った。
セールスならすぐに帰るだろうと居留守を使う。
1回
2回
3回、4回、5回
「……っくそ!」
怒りを原動力に立ち上がって玄関に向かう。追い返してやろうと勢い良く引き戸を引くとそこにいたのは、セールスではなく鼻の頭を赤くした花京院だった。
「なんだ。いるじゃあないか」
「……何しに来やがった」
「嫌だなぁ、せっかく遊びに来てやったのに」
入れて入れて、と自分を押しのけて入ってくる花京院を見て、随分気が置けるようになったなと思う。
「よし、承太郎 外行こう。」
「ぁん?」
「雪見に行こうよ。すごいぞー僕の腰下まで積もってる」
「見に行こうって…雪降ってる中行くこともねえだろ」
わざわざ降られに行く必要もない、と言うと花京院は呆れ顔になる。
「あのね、君のことだからカーテンも開けてないんだろうけど、今のところやんでるぞ」
「……」
花京院が閉めた戸をもう一度開けると素晴らしいほどに銀世界だった。 ただそれだけで空は逆に真っ青だ。
「今のところ降る予報もないから、ほら家の周り見に行こうよ」
「……ちょっと待っとけ」
反論する気にもならず一度部屋に戻ってコートを掴み取る。
なぜ外に出ようとしたかはわからない。ただ、この雪のせいでいつも以上に静かな気がして人恋しかったのかもしれない。
確かに外はかなり積もっていて、承太郎の膝上までは少なくとも積もっていた。
音が立つわけでもなくさらさらとしている雪を蹴るようにして進むと花京院が静かなことに気づく
「おい、どうした」
「…あのね雪ってよく影を灰色で描かれるけど本当は水色だと思うんだ。」
また色の話か、とは言えなかったのはあまりに真剣な顔をしているからだ。
「だってもとは水なんだもの。水はその名の通り水色をしているし、これだって水色のはずだ」
「だが雨は透明だろ」
「あれは粒だもの。春頃言ったろ?桜の花びらは一枚だと白に近い色だけど、数が集まるから綺麗な色になるって。」
シロクマの毛も、本当はグレーなんだよ、といいながら花京院は雪に手を突っ込んでしかめっ面をして引き抜いた。
「雨は粒だから透明、お風呂のお湯も、水道の水も集まりではあるけれど色になるにはもっと必要なんだよ。だから海は青いんだ」
「市営プールとかは」
「あれはどちらかというとプールの水槽自体が水色に塗られている場合があるから…」
「そうか」
「気になったのかい?」
「別に」
はぁ、と吐き出した息が白い靄になって消えていく。
「でも海が青いのは光の反射だからって聞いた気がするんだよね。そうなると雪も元が水だから、というよりは光の反射なのかな」
「花京院」
「なんだい?」
自分の世界に入りかけていたところを呼んでみたが、あっさりと反応が帰ってくる。
つい呼んでみたが、何をいおうか
「……餅があるから昼は雑煮にするか」
「いいのかい?」
「…雪見に来ただけじゃあねえだろうが」
「そうだね、じゃあ少し遠回りしてスーパーで飲み物とかつまめる物買ってこうか」
「あぁ」
それだけ会話をしてまた前を向いて歩き出す。花京院は横に並ぶわけでもなくまた後ろから着いてきているのだろう。
色んなものに目をひかれる花京院を、後ろから見たら暇つぶしになるだろうかと考えるがそれをしたら、いつまでもタラタラと歩くことになりそうで承太郎は考えるのをやめた。
空は青く、雪雲が漂っているわけでもない……もう降らないのだろうか。
帰ったらまた天気予報を見てみるか、と心に決めて承太郎はもう一度息を吐いた。
また春がやってくるのだと、桜の木が言っている。
冬は七色 銀の色
おわり。
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承太郎進学はいいのかな。受験生よ。
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